今さっき出先で見かけたテレビのニュースで、
亡くなったのは明け方の4時だったと言っていました。
16時という報道がありましたが、情報が混乱したようですね。
就寝中だったというから、現地時間で朝の4時が正しいのでしょう。
メキシコ時間で前の日の20時。
ニュースが出たのはほんの数時間後だったわけですね。
youtubeでトーニョのゴールシーン動画が出てましたので、
ここに貼っておきます。
メキシコ代表でブラジル相手に決めたゴールが一番印象的だったと
死亡記事へのコメントに書いている人が多かったです。
他にも動画はたくさんありますが、とりあえずこれとか。
◆
アントニオ・デ・ニグリスは1978年4月1日生まれ。
兄のアルフォンソ・デ・ニグリスはモデルで76年生まれ、
弟のアルド・デ・ニグリスはモンテレイの選手で83年生まれ。
みんなAで始まる名前の三人兄弟でした。

アルフォンソ

アントニオ

アルド
よく似てますよね、三人。
アルフォンソも以前、スタジアムに観戦に来ているところを
テレビに映されてインタビュー受けてるの見たことあります。
しかしメキシコを飛び出して世界を股にかけたのはアントニオだけ。
彼の経歴をまとめてみます。
一部リーグデビューはモンテレイにて、2000年の夏としかわかりません。
モンテレイ(メキシコ)
2000年夏シーズン 4試合 ゴールなし
2000年冬シーズン 17試合 11ゴール
2001年夏シーズン 16試合 10ゴール
2001年冬シーズン 14試合 6ゴール
2002年夏シーズン 15試合 4ゴール
2002年開幕シーズン 17試合 6ゴール
アメリカ(メキシコ)
2003年閉幕シーズン 3試合 ゴールなし
ヴィジャレアル(スペイン)
2003年 15試合 2ゴール
ポリエヒード(スペイン)
2003−04年 31試合 2ゴール
オンセ・カルダス(コロンビア)
2004年 19試合 1ゴール
プエブラ(メキシコ)
2005年閉幕シーズン 13試合 1ゴール
プーマス(メキシコ)
2005年開幕シーズン 15試合 2ゴール
モンテレイ(メキシコ)
2006年、となってますが、確かこの時期アントニオは
モンテレイに籍を置きながら中国まで行ってました。
そこでプレイするはずだったんですが、書類の関係から時間だけが過ぎ、
結局正式な登録ができないまま中国を去って、ブラジルへ。
サントス(ブラジル)
2006年 2試合 1ゴール
ここではやっとプレイできたかと思ったら、
ブラジルリーグの登録時期を過ぎていたとかで、
選手の不正起用でサントスにリーグ参加権剥奪処分が出そうになり、
サントスは慌ててアントニオを手放してしまいました。
ガジアンテプスポル(トルコ)
2006−07年 39試合 15ゴール
アンカラスポル(トルコ)
2008年 25試合 7ゴール
アンカラギュチュ(トルコ)
2009年 14試合 2ゴール
ラリッサ(ギリシャ)
2009年 7試合 ゴールなし
数字で見れば、FWとしてはそんなに目立つ成績ではないですが、
実に12クラブ、6ヶ国でプレイしています。
メキシコでは、言葉に大して不自由のないスペインに行っても
うまくなじめず戻ってくる選手の多いなか、
文化すらまったく違うトルコやギリシャで長年やってきたアントニオは
やっぱりそれだけでも(だけは?)評価に値する選手だったと思います。
代表歴は、
2001年に16試合招集、13試合プレイ、4ゴール。
2002年に3試合招集、1試合プレイ、ゴールはなし。
2008年に2試合招集、2試合プレイ、ゴールはなし。
代表デビューは2001年3月7日のブラジルとの親善試合。
代表監督はエンリケ・メサ、試合結果は3−3ですが、
アントニオはメキシコ二本目のゴールを決めています。
同年3月25日のW杯予選、対ジャマイカ戦では
メキシコが4−0の圧勝、その最初の二本がアントニオのゴールでした。
15分と17分に連続ゴールです。
それから2001年8月23日の対リベリア親善試合で
5−4でメキシコがかろうじて勝ったときの勝ち越しゴールがアントニオです。
このときの代表監督はすでにアギーレに替わっていました。
2001年の代表戦の内訳は、
親善試合 5試合
韓国コンフェデ杯 2試合
コパ・アメリカ 3試合
W杯予選 3試合
2002年はグアテマラとの親善試合に一度出場しただけ。
そして代表からは長らく離れて、メキシコからも離れていたわけですが、
ウーゴ・サンチェスが代表監督になってアントニオを呼び戻しました。
2008年の2月と3月に、それぞれ米国とガーナとの親善試合に
先発出場してゴールはないまま交代で下がっています。
アントニオ・デ・ニグリスの、最後の記事となったブログを
ここにざっとですが、訳しておきます。
ワールドカップに行きたい
2009年10月21日
やあ、また戻ってきました。最後の記事からだいぶ時間が経ってしまったけれど、プロ生活は徐々に軌道に乗り始めています。ご存知のように、今はギリシャの新しいクラブ、ラリッサにいます。トルコのアンカラスポルとの契約は終わって、ラリッサと二年契約です。この町に家族とやってきて、とても満足していて、プレイできることに希望を抱いています。先週はちょっとだけ(64分)プレイして、Xanthi Skodaに2−0で勝ちました。
線審がミスをして、オフサイドではなかったのに、ぼくのゴールは取り消されました。でも重要なことは、チームが勝ったということで、自分が毎回チームにどんどんフィットしていくのを感じています。最初の二ヶ月は、アンカラスポルで厳しかった時期の後遺症があって、とてもしんどかったですが、今は日々回復していくのを感じています。
私たちが今住んでいる町はクラブと同じくラリッサといいます。静かで綺麗な町です。人口がどれくらいなのか知りませんが、とても少ないです。ファンはとても情熱的で、私たちを快く迎えてくれました。ここでの生活は快適です。幸せで、ここでの勝利を望んでいます。
気候はメキシコと似ています。季節があって、冬と夏と春と……。今は寒くなりつつありますが、ここに来た当初はとても暑かったです。
ギリシャにやってくることは個人的なチャレンジでした。ここでぜひとも勝利したい。ギリシャリーグはヨーロッパでも重要なリーグです。去年ラリッサはUEFAカップ?でプレイして、上に行こうと戦っています。今シーズンはずいぶん多くの選手の入れ替えがあり、ぼくたち新しい選手はチームに少しでも早く馴染んで、チームがふさわしい順位に行けるよう貢献すべく努力しています。
自分にできる唯一のことは、これまでどおりひたすら努力して、物事がうまく回るようにもって行くこと、ゴールを決めること。今日の初ゴールを無効にされたのは残念ですが、降参はしません。
ラリッサと自分のために、多くのことをやり遂げたいと思っています。アギーレがまたぼくを代表に呼んでくれる希望を失ってはいません。メキシコはすでにW杯へのチケットを手にしていて、すべてのメキシコ選手と同様、ぼくもワールドカップでプレイしたいと夢見ています。目を留めてもらえるよう、戦い続け、努力し続けます。チャンスが回ってきたときにそれをしっかり利用できるように。
他のメキシコ人選手たちに比べて自分が不利だとは思っていません。ラリッサで試合に出てゴールが決まるようになってくれば、チャンスは来ます。チームに貢献すべくいいプレイをするのみです。
もっとも大事なこと、W杯出場権の獲得はできました。W杯に出場するチームはどこも強いです。メキシコと当たるチームがどこであれ、難しい試合になるでしょう。メキシコがやるべきことは一丸となれるチームを作り上げ、気持ちをひとつにして目標を達成することです。相手がどこであれ、重要なことは、メンタルでもフィジカルでもしっかりとしたチームを作っていくこと。それ以外のことは重要ではありません。
ばかやろー、死んじまったら何にもならないじゃないかよぅ……。
でも一番悔しいのはきっと本人ですよね。
Descanse en pazって言われて平穏に眠れるわけもないでしょうが、
メキシコが、弟のアルドが、しっかりプレイするようあの世から叱咤激励してください。

バイバイ、アントニオ……
勝手ながら個人的な数少ない思い出をお話させていただくと、
初めて彼を見たのは2003年のビジャレアルで、正直言ってパッとしない
印象でしたが、2004年のトヨタカップでオンセカルダスの一員として来日した際、
うろ覚えですが敗戦後に涙を流して悔しがる姿に心を撃たれました。それ以降も
メキシコ人としては珍しく、ブラジルのサントスやトルコのクラブなどで
武者修行する話はここの記事で見ていて応援したくなりましたし、ボルゲッティ以来
出現が待たれる大型ストライカーとして代表に復帰した時は嬉しくて
期待もしていたのですが・・・。
まだ信じられないし、信じたくはないですがご冥福をお祈りします。
そしてありがとうトーニョ!お疲れ様でした。
慌てて飛んできました。
まだメキシコのサイトもチェックしてないんですが…
とにかくショックです。
私は初めて彼を見たのは、確か2001年のコパ・アメリカでしたね。
正直、no nameさんと同じ印象でパッとしない感じだったんですが…
ホント、メキシコ代表経験者でこれほどいろんなトコロで
プレーした人がいただろうか?というぐらい
いろんなトコロでプレーしてましたよね。
っていうか、ESPNのブログ…。(涙)
彼はW杯には出たコトなかったんだよな。
それだけに、想いは強かっただろうと思うと…せつなすぎです。
何かあまりうまいコト言えないんですが…
ご冥福をお祈り致します。
PUMASの一員としても戦ってくれたもんね。ホント悲しいです。
マリオニの引退もショックだったんですが、御苦労さまって感じで残念ではあったけど悲しくはなかったんだけど、これは正直堪えますね。大好きな福田選手と少しかぶるようなサッカー人生、まさにさすらいのストライカーって感じで応援している選手の一人でした。
ああ〜 支離滅裂になってきたんでこの辺でやめておきます。
ご冥福をお祈りします
と思ってこの記事を開いてみたんですが、やっぱりそれはなかったか……。
すみません、タイトルにちゃんと書かなければとは一応思ったんですが、
信じられない気持ちが強くて、書くことができませんでした。
皆さんそれでも察してくださったようですが……。
今さらにニュースを探すと、少し詳しく出ていました。
寝ていて具合が悪くなり、奥さんのソニアさんが救急車を呼んだようです。
が、病院に到達する前に亡くなってしまったとのこと。
ソニアさんと5歳になる娘のミランダちゃんにはギリシャのメキシコ大使館が
現在サポート中。モンテレイも人を送るようです。
トーニョの遺体は検死を行うらしいです。
死因が今のところはっきりせず、心臓停止だけが確認されているみたい。
検死が終わったら、遺体をモンテレイに戻す算段をしているようです。
家族もみんなモンテレイですから、やはりそちらで迎えたいでしょう。
今モンテレイで調子を上げてきている弟のアルドにとってもショックだろうし、
俳優やってるお兄さんのアルフレドはよく知りませんが、
ご両親やその他の家族、そして何よりも奥さんと娘さんのことを思うと
本当に胸が痛いです……。
>no nameさん
そうかぁ、そんな前からパッとしないやつだったんですねえ……。
トヨタカップで日本に行っていたとは知りませんでした。
私もサッカー選手としての能力はまあ別として、
世界を渡り歩くその心意気はすごく共感もでき、応援してました。
中国にまで行ったときは(結局プレイはできなかったけど)
ホントにすごいやつだなあと思ったもんです。
まだほんのちょっと、ギリシャの小さな町からトーニョが、
何言ってんの〜何かの間違いです、元気ですと発信してくれないかと
心のどこかで待っているんですが……ダメですかねやっぱ。
>Egoistさん
日本語でも記事が出てましたか〜。
そう、ESPNのブログ、真っ先に思ったのがあそこだったんですよ。
ラリッサの町に引っ越して、小さな町ですとか書いてるのを見ると……
やっぱりいろいろ思ってしまう……。
ワールドカップにも今度こそ行けるよう、アギーレに認めてもらえるよう
頑張りますと書いているのに(涙。
本当に、今は言葉がありません。
>yoshiさん
そうそう、プーマスでもプレイしてましたもんね〜。
選手の引退も寂しいニュースですが、こんな突然死はやはりきついですよね。
そう、福田選手もそうですが、私も
外国に出ていって、言葉に苦労したりしながらでも頑張る選手はどうしても
少しは気持ちもわかるような気がしたりして、それだけで応援してしまいます。
トーニョは本当にさすらいのサッカー選手でした。
地味な選手だったけど……でも頑張ってた。と思います。
私も、今は本当に、言葉が出てこないです。
medioさんが、写真集を出してくれてます。
http://www.mediotiempo.com/futbol/mexico/galerias/2009/11/antonio-de-nigris-in-memoriam
よかったら覗いて、トーニョをしのんでください。
ギリシャでの検死の結果が一応出たそうで、それによると、
アントニオの死因は遺伝性の心臓疾患、心臓形成欠陥によるものだとか。
え、てことはアルドもヤバいってことですか?
そんな先天性の病気があったのなら、どーして今まで見つからなかったのか……。
サッカー選手で突然死した中には気付かれずに疾患を抱えていた人もいますが、
だからこそしっかり検査しようと、プエルタのときも呼びかけられていたはず。
選手の側も、クラブも医療関係機関も、もっともっとしっかりしてほしい……。
避けられたかもしれないと思うと、よけい辛いです。
メキシコ人ってものすごく家族のつながり強いから、アルド、リギージャでプレーできるのかな・・・。
ほんと今はいいプレーしてるので、彼がいないと心配です・・・。
アルドも今は家族と一緒にギリシャに行ってるんじゃなかったかな。
今週末の試合には出られないかもしれませんね。
リギージャのスケジュールが今シーズンは緩めで、水木に試合がないのが
まだしも幸いだったと言えるでしょうか……。
彼のプレイするところはまったくといっていいほどみたことがないので、海外クラブを渡り歩いていたということぐらいしか知らないのですが、先日見たワールドカップ出場国を特集している雑誌には彼は代表候補だと書いてありましたね。それがこんなことになろうとは・・。
ご冥福をお祈りします。
エンケのニュースにもやりきれない思いでしたが、
その直後に今度はメキシコにこんなことがあるとは……。
私もプレイを見たのは半年かそこらでしたし、
すごく評価している選手というわけではなかったのですが、
とにかく世界中どこにでも行ってしまう気迫はすごいと思ってました。
その意味でものすごく応援はしていたので、よけいにショックです。
そちらの雑誌、アントニオも代表候補として取り上げてましたか……。
ウーゴのときに何度か呼ばれて、でもパッとせず、
これから頑張って新しいクラブでコンスタントにプレイして、というところで
こんなことになってしまって、どんなにか悔しかろうと思います。
せめて天国から、弟のアルドをしっかりサポートしてほしいものですね。